DATE 2008.12.23 NO .



 きれいなものが、すき。
 例えば兄ちゃんが話してくれるお伽噺は、
 忘れさせてくれるから。



「――兄ちゃんのおはなしは、いつもおもしろいね」
「そうか? ……なら、よかった」
「兄ちゃんのつくったおはなしなの?」
「それはないなぁ」
「じゃぁ、むらがまだあったころにだれかにおしえてもらったとか?」
「……まぁそんなところ、かな」
「ふぅん……おぼえてないや」
「仕方ないよ」

 兄ちゃんは、わたしにいつもお伽噺をしてくれる。
 鉢かづき、糠福と米福、落窪物語――
 今は大変でも、いつかは幸せになれるっていう、素敵な世界。

「わたしのところにも、おしろから若様がやってきてくれたりしないかなぁ…」
「若様、かぁ……それはまた飛んだな。村長の息子だとか小さな家でも後継ぎなら、充分お伽噺並みに生活が変わるだろうに」
「兄ちゃんもいっしょに幸せになるんだよ、けっこんだけじゃだめじゃない!」
「ははっ…お前もいろんな事を考えるようになったんだなぁ――」







 今日は兄ちゃんの帰りが遅い。

「どうしたのかな?」

 兄ちゃんはいつもどこかに食べ物を取りに行って、帰って来る。
 どこへ行くの、と聞いても、兄ちゃんが教えてくれる事はない。
 わたしは、捜しに行けない。
 だから、おうちでじっと待つしかない。



 いつの間にかうとうとしていた。
 ひんやりした風が入って来て、目を覚ます。

(兄ちゃんは……まだ)

 いくらなんでも遅すぎやしないか。
 そう思ったわたしの耳に……笛の音が聞こえてきた。
 夜風に乗って、ふわり、ふわり。
 ――きれいだ。

 暗くてよくわからない。
 けれどそのやわらかい笛の音を頼りに、ほら穴の外に出てみる。
 蔓を払いのけて、怖いけど一人で外に出た。

 ……初めてかもしれない。いつもは兄ちゃんと一緒だから。

「――こんばんは」

 笛の音が、とまる。
 上から声が降ってきた。

「こ、こんばんは! …あなたは、だれですか?」

 突然話し掛けられて、びっくりする。
 高いところから届くその声はとても優しげで、わたしはその人の事が知りたくなった。
 きっと、優しい人。

「城から逃げて来た無力な子供だよ」

 わたしと兄ちゃんを助けてくれるかもしれない人。
 絶対見つけるって、決めてた人。

「……窮屈で、仕方なかったから。重い荷物は捨てて、たまにはのんびりと好き勝手にしたかったから。それで、ここで笛を」

「笛……」

(若様、かもしれない…!)

 その人が、ようやくわたしと兄ちゃんを迎えに来てくれたんだって。
 そう、思った。

 たぶんほら穴の前にあったはずの大きい木の上に、身なりのいい人がいる。
 暗くて見えないけど、きっと。
 あの人が、わたしと兄ちゃんを助けてくれるんだ。
 物語の中の人みたいに、きれいな世界に連れ出してくれるんだ。

「笛、聴いてくれないか?」

 わたしがお願いをする前に「若様」はそう言った。

 遠いのに小さい声だからよくわからないけれど、やっぱり優しい声だなぁって思う。

「ききたい、です!」

 きっとこの人が、わたしと兄ちゃんを――

 知らない曲を聴きながら、わたしはだんだん眠くなる。
 草笛みたいな、懐かしい音。
 若様も 笛をつくったり す る んだ ね……



「――今日も遅くなるんだ……ごめんな」

「いってらっしゃい、兄ちゃん。おはなし、まってるね」

「…………あぁ」

 あの日から、「若様」は時々大きな木の上にやってくる。
 いつも、笛を聴かせてくれる。
 わたしはその音を聴きながら、若様のいる木の根元にもたれて眠る。
 でも起きたらほら穴の中。兄ちゃんには夢をみたんだよ、って笑われて。
 その兄ちゃんは……最近遅い日が多い。
 でも必ず、食べ物やお話を持って帰ってきてくれる。

 こんな兄ちゃんが、幸せになれないはずがない。
 二人で一緒に幸せになるんだ。
 ……お伽噺みたいに。



 今もわたしは、若様の笛を聴いている。
 でも今日は、いつもと違う。

 音が、突然止まった。

「ど、どうしたんですか?」

 遠い木の上にも届くように、出来るだけ大きな声でわたしは若様に聞いてみた。

「……」

 耳はいい方だと思うわたしにも聞き取れない。低く抑えた声らしき音だけが返ってくる。

「若、様……?」

 焦って、どうしたらいいかわからなくて。
 わたしは、そう呟いた。

「――それ」

 今度ははっきりと、聞こえた。

「え……?」

 冷えた声、だ。

「君は、独りなのか?」

 それ、ってなんだろう?

「兄ちゃんがいます」

「……どう思ってるんだい、その人の事」

「どう、って……兄ちゃんは兄ちゃんです」

「……」

 がさり、と大振りの枝が揺れる音がする。
 それからさわさわ…と、今度は葉擦れ。
 兄ちゃんが言っていたっけ。この木はたくさん葉を繁らせているから、暑い日にはきっと涼しいだろうって。
 どのみち今日も真っ暗で、葉があってもなくても、わたしは音を追う事しか出来ないのだけれど。

 ――夢じゃない。
 絶対、夢じゃない。
 わたしの目は若様を見つけられない。
 でも耳は、確かにわたしに向けられる声と枝を移る音を受け取っている。

「君、寝言で言っていたね」

 だいぶ近くなった声が、そう訊いてきた。

「幸せになりたいんだ、って」

「はい! 兄ちゃんといっしょに幸せになるのがわたしのもくひょうです!」

 寝言なんて、兄ちゃんはそんな事言ってくれないから初めて知った。
 それでも恥ずかしいとかより、若様にわたしの想いを聞いて欲しいという気持ちの方が強くて。

「…一緒、に……?」

「はい、いっしょに。いつかお伽噺みたいにふたりでしあわせになりたいです」

「……」

 また聞き取れない声らしき音がした、と思った、その瞬間だった。

「だから……どうやって?」

 真っ暗な夜ばかりなのを、今日ほど怖く思った事はない。

「結局人頼みなんだろう!? 一人で生きていく事も出来ない子供に何が出来る? 家も継げないただのガキに、一体どうしろっていうんだ!!」

 「若様」の声は、大きくて怖かった。
 あれほど優しいと感じていたのに、今はその欠片もない。

「もう…疲れたんだよ…………そんな事、出来るわけないじゃないか……っ!」

 けれど、怖いけど…泣きそうにも思えた。

「いつかかならず、二人で幸せになる!」

 兄ちゃんのお話の「若様」は、困っている「姫」を必ず見つけてくれる。
 「姫」は大変な毎日でも諦めない。

「ぜったい、ぜったいにあきらめない! まいにちがんばったら、いつかかならず幸せになれるんだって……兄ちゃんがおしえてくれたんだから!!」

「……だからってさ、そんなの随分夢をみすぎだとは思わないか?」

「でもそのほうがきっと、たのしいです。……そう、思いませんか?」

 答えは、返ってこなかった。
 寒くはなかったけれどいつもみたいに木の根元で眠る事もなく、わたしはほら穴の中に戻った。暗闇の中で横になる。わたしはひとりきり、兄ちゃんはまだ帰って来ていない。

 兄ちゃんも若様も、いない。
 ひとりの夜。

 でも、がんばれる。
 兄ちゃんと一緒に幸せになるには、わたしが足をひっぱっちゃ駄目だから。

 それから若様に――証明するために。
 お伽噺の「姫」も、いつもがんばっているから。
 人頼みじゃなくて、夢見がちなわたしでもちゃんと自分で自分の幸せを見つけた、って。
 いつか、伝えられるように。







「――しばらく遅い日が続いてごめんな。もう、夜独りにはしないから」

 次の日起きたら、兄ちゃんが突然そんな事を言った……じゃないね、言ってくれた。
 それから、兄ちゃんはわたしの手をぎゅっと握る。
 ずっと前からやってくれる事。
 兄ちゃんの手はざらざらしていたり、深かったり浅かったりする「溝」がある。
 今日の手も変わらない。
 わたしの手には何もなさすぎて、兄ちゃんの手がどうしてあんな風になるのかよくわからない。わからないけれど。

 一緒にがんばったら、わかるのかな。

 わたしは、そっと握り返す。
 兄ちゃんに手を握ってもらう事で、わたしの毎日触れる絶対の恐怖がやわらぐように、
 兄ちゃんにも、少しでいいから安心してもらえるように。

 今日は、待っている間近くで落ち葉や枯れ枝を集められるよう、がんばってみよう。
 ちょっと怖いけれど……大丈夫、大丈夫。



 きれいなものが、すき。

 わたしの世界に光をくれるから。
 わたしに夢を見させてくれるから。

 例えばきれいな世界を話してくれる兄ちゃんは、
 忘れさせてくれるから。

 わたしは目が見えない、って事を。







≪あとがき≫
 登場人物3人までで一次創作の短編。この制限に惹かれて参加表明した企画です。
 企画サイトはもう跡地になっていますが、リンクは残っているので興味のある方は是非。

 最後の1行のために書きました。










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